沿革

大正 7年初代 萩原延一が萩原組を創業
昭和 10年十勝大橋着工
昭和 17年佐々木組を吸収合併
昭和 20年木造平屋建の新社屋を建築
昭和 23年法人組織に変更改組「井桁萩原建設工業株式会社」
昭和 24年現在の萩原建設工業株式会社に商号変更
昭和 25年コンクリートタワー購入 初のRC造建築物十勝川温泉ホテルを施工
昭和 27年資本金を1,000万円に増資
昭和 28年札幌営業所を開設
昭和 29年萩原延一帯広建設業協会会長に就任
昭和 32年札内川の工事現場で雪崩事故が発生
作業員18名の人命を失う災害が起こった3月31日を会社の「防災記念日」と定める
昭和 36年木造二階建の社屋を新築
昭和 37年釧路出張所を開設
昭和 40年釧路出張所を営業所に昇格
昭和 43年萩原一男が取締役社長に就任
函館出張所、厚岸営業所を開設
昭和 44年札幌、釧路両営業所を支店に昇格
昭和 47年札幌支店新築移転
初JVによる帯広市総合体育館の施工
昭和 48年釧路支店現在地に新築移転
昭和 50年資本金を8,000万円に増資
昭和 51年林野庁長官賞受賞
安全衛生協議会の発足
受注総額50億円を突破
昭和 52年萩原一男帯広建設業協会会長に就任
昭和 55年新社屋落成移転
昭和 56年本社に営業部新設
一級建築士事務所開設
昭和 58年本社にコンピューター導入
昭和 60年宅地建物取引業者登録
創業70周年記念祝賀会、記念誌の発刊
昭和 62年東京営業所開設
昭和 63年完工高100億円達成
平成 元年サハリン・ユジノサハリンクスへ建設技術者派遣
建設大臣許可登録 大臣許可業者に変更
平成 2年第1回謝恩コンサート「究極の弦樂4重奏」開催
新十勝大橋下部工事に着手
平成 3年完工高150億円達成
平成 4年東京営業所を支店に昇格
平成 5年4週6休制の導入
平成 6年札幌支店を新築移転(旧所在地:札幌市豊平区)
平成 10年創業80周年記念祝賀会、記念誌の発刊
平成 11年ISO9001認証取得
平成 15年萩原一利が代表取締役社長に、萩原一男が代表取締役会長に就任
萩原一利帯広建設業協会協会長に就任
平成 16年萩原労働安全衛生マネジメントシステム(COHSMS)認証取得
平成 18年ISO14000認証取得
平成 21年北海道知事様より文化活動で表彰される
平成 22年萩原一利 北海道建設業協会副会長に就任
平成 23年東日本大震災被災地へ支援物資を届ける
豊頃町長・広尾町長より災害復旧表彰を受ける
萩原一宏(現 取締役副社長) 入社
平成 25年日本赤十字社より「金色有功賞」授与
札幌支店を現所在地(札幌市中央区)に移転
平成 27年クローラクレーン搭載台船「一栄号」が完成
長年のコンサート活動に対し、道庁より北海道地域文化選奨特別賞を受賞
平成 28年大型台風により清水町や新得町、芽室町で甚大な被災
帯広市よりスポーツ功労賞受賞(萩原一利)
平成 29年台風被災地3町にて、復興支援コンサートを開催
広報誌「HAGIWARA TIMES」創刊
北海道知事より「北海道なでしこ応援企業」を受賞
平成 30年創業100周年記念祝賀会・式典を開催
指定作業服・事務制服の刷新
インターステラテクノロジズ株式会社へ出資
道東最大級の野外音楽フェス「TOKACHI ALIVE」を開催
品質マネジメントシステム認証取得20年表彰
令和 元年萩原一利が国土交通省大臣表彰(建設事業関係功労)を受賞
令和 3年民間宇宙基地「スペースポート」の整備資金として大樹町へ「企業版ふるさと納税」を利用した寄付
「SDGs宣言」を策定
新型コロナウイルスワクチン職域接種の実施